【相沢翔語録】~ホストたるもの、道を作れ~【インタビュー連載Vol.5】

INTERVIEW〜インタビュー〜

Vol.5】 相沢翔 「令和ブロッコリーおじさん」の愛称を持つ、大人ホストの星、相沢翔。現在はFUYUTSUKI-OSAKA-を中心に活躍する彼の、ホストを続ける上での心構えとは。ミナミのホスト事情も踏まえた彼の金言を記す。

相沢翔

PROFILE
相沢翔 (あいざわ・しょう)
冬月グループ「FUYUTSUKI-OSAKA-」代表で、新宿の「FUYUTSUKI-FATE-」にも在籍する。現在は主に、「FUYUTSUKI-OSAKA-」を拠点にミナミでの活動をメインとしている。最高売上は1400万。趣味は筋トレ。

 

厳しかったホストブーム時代


インタビュアー

まずは、ホストになった経緯を教えてください。


相沢

僕は大阪出身なのですが、2006年頃にホストブームがあったんです。TVや雑誌でもけっこう取り上げられたときですね。そのブームの中心となっていた、ミナミ(大阪の繁華街)の大きな店舗に入ったのが最初でした。もともと夜の世界には興味があったので、プレイヤーになるのも良いかなと。それが二十歳のとき。


インタビュアー

当時在籍していた店舗は、上下関係も厳しかったのでしょうか?


相沢

厳しかったですね。在籍するホストは100人くらいいて、当時は日給が2000~3000円が相場だったので、売上をとにかく上げないと、コンビニでバイトするよりも厳しいくらいで。実際、コンビニとホスト両方やっているやつもいました。


インタビュアー

大阪から歌舞伎町に移動したきっかけは?


相沢

僕はありがたいことに新人の頃から売上があって、No.1にもなれました。メディアに取り上げてもらったこともあったんですけど、在籍していた店自体が諸事情で衰退していったんですね。そのタイミングでそろそろ本場・歌舞伎町でやってみようかと。それが2009年くらいでしたね。


インタビュアー

ちなみに、相沢さんの「ブロッコリーおじさん」というあだ名の由来は?


相沢

気づきましたか(笑)? 僕は筋トレが好きで、一時期は筋肉をつけるのに良いとされるササミとブロッコリーしか食べてなかったんですよ。それで、「#ブロッコリーおじさん」というハッシュタグをつけて、毎日ササミとブロッコリーしか入っていないお弁当をSNSにあげていたときがあって。今でもお客さんから、「ブロッコリーの人ですよね」と言われますね(笑)。


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冷静な話しぶりにインテリジェンスを感じる

遅刻や急な病欠をしない。そんな基本的なことがチャンスにつながる。


インタビュアー

歌舞伎町に来てからも、最初は別のグループにいらっしゃったんですよね?


相沢

そうですね。最初は別にグループ店に入って、そこから冬月に来たって感じですね。


インタビュアー

歌舞伎町に来て、ミナミとの一番の違いはどこに感じましたか?


相沢

接客ですね。ミナミだと、「こっちをいかに楽しませてくれるか」が試されます。一方で歌舞伎町では、接客ももちろんですが、それこそ見た目とか、営業内容に重点が置かれている感じです。ミナミはワイワイ楽しいだけでも許されるときがあるのですが、歌舞伎町は単に身体張れば良いということではなかったですね。


インタビュアー

ミナミと歌舞伎町、ふたつの場所を経験された相沢さんが、ホストとしてここだけは守り続けていることはありますか?


相沢

僕は濃い営業をするより、店の中で楽しませることを第一に考えてきました。あと、遅刻や急な病欠、ドタキャンみたいなことは一切しないんで。そういう勤怠をしっかりとやってきた自負があります。そうすると、自ずとチャンスが多くなりますから。とはいえ、若いときにもっとちゃんとしておけば良かったなと思いますよ。他の人からは「きれいな営業」って言われるんですけど(笑)、もうちょっと強引な感じというか、ホストスキルみたいなものを積極的に取り入れていたらと思いますね。


インタビュアー

冬月に移籍するきっかけは何かあったのでしょうか?


相沢

歌舞伎町に来たあとにホストを一年くらい辞めていた時期があったんですけど、そのときに冬月の社長から誘われた形でした。ちょっと悩んでいたんです。歌舞伎町は合わないかなぁとか、ホスト業界に対して疑問がありつつも、自分もホストをやっている矛盾みたいものに。


インタビュアー

そういう意味では、業界の改善を図ろうとする冬月の姿勢にも惹かれたというか。


相沢

そうですね。冬月は従業員ファーストなところがあって、そこに助けられているので長いこといられるなと。



インタビュアー

実際の雰囲気も違いますか?


相沢

ホスト同士の仲が良いですね、やっぱり。若い子たちに個性が強い子が多いのも特徴じゃないですかね。

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一時は休業していたものの、冬月グループでホストとして復帰。

SNSを活用すれば、関西でもチャンスはある


インタビュアー

大阪に戻られたのはどのような理由からですか?


相沢

これは冬月の叶会長から打診があって。2017年の8~9月くらいに話がありました。「ゆくゆくは大阪で働くのはどう?」みたいな話だったのに、3週間後くらいに「じつはもう物件を抑えているんだ」と(笑)。ただ、僕も実家が大阪だし、年齢としても30代中盤だったので、冬月グループの地方展開を探る意味でもちょうど良いタイミングかなと。


インタビュアー

2018年1月に「FUYUTSUKI-OSAKA-」オープンしましたが、久々にミナミに戻ってきての印象は?


相沢

うーん、やはり歌舞伎町とは規模が違いますね。僕がいた10年前のミナミと、そこまで状況が変わってないんですよ。売上の水準も違いますし、良いコは歌舞伎町に集まるイメージはより強くなったかもしれませんね。


インタビュアー

ミナミの店舗における問題点はどこに感じていますか?


相沢

歌舞伎町では、動画配信やSNSの発信がきっちりと営業のツールになっているじゃないですか。でも、ミナミだとまだまだなんですよ。ホストでもやってない人も多いし、キャッチ文化も根強くて。だからそこはチャンスと思っていて、SNSでうまくプロモーションできればと思います。


インタビュアー

大阪はかなり外国人観光客が増えたと思うのですが、何か影響はありますか?


相沢

確かにミナミや宗右衛門町は外国人ばかりです。でも、ホストクラブに来てくれるのは日本人がほとんどですね。ゆくゆくは、外国人観光客にも楽しんでもらえるようなものになれば良いかなと思いますけどね

aizawa_honbun3 現在は地元・大阪を拠点としている相沢。歌舞伎町での経験を活かすつもりだ

冬月の関西支社を築く。それが目標であり野望


インタビュアー

最後に、これからミナミのお店をどのようにしていきたいですか?


相沢

まずはホストたちのモチベーションのアップですね。そもそも大阪のコたちは歌舞伎町のコに比べるとモチベーションが低い。実家暮らしも多いですしね。特にうちの店は「未経験でも安心」を売りにしているので、本気度が低いコもけっこう面接に来るんですよ。


インタビュアー

それは難しいところですね。


相沢

そうですね。かっこよくなりたい、でも整形することにも乗り気じゃないコも多いですし、やっぱり笑わせてなんぼ、みたいなところはあって。なので、研修という形で歌舞伎町の店舗に行かせて「ホストとは」を学ばせることもあります。あと、歌舞伎町からも有名ホストに来てもらって、その様子を実際に見てもらったり。



インタビュアー

まずはそういった教育から進められていて。


相沢

はい。その中で、ホストひとりひとりが成長していけば良いなと。最終的にはミナミでも店舗数を増やしていって、冬月の関西支社を築いていきたいというのが僕の今の目標ですね。

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ゆくゆくは冬月を全国区に。その野望が彼を突き動かしている。

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